第55号(2023年)
藤田大雪:反駁は不可能である——アンティステネスのパラドクスが問いかけるもの
田代 嶺:『テアゲス』における著者の意図
足立恵理子:プロティノスにおける美と善の同一性——V. 5. 12を中心として
第54号(2022年)
朴 一功:エピクロスにおける必然、自由、自律
瀬口昌久:すべての知覚は真であるのか?——ルクレティウスの「錯覚・幻覚・夢」
福田宗太郎:プラトン『メノン』77b–78bと『ゴルギアス』466a–468eにおける良いものへの欲求
南部正裕:政治的徳、有益性、他者の魂——『ゴルギアス』と『メノン』における著名な政治家たちに対する評価について
第53号(2021年)
早瀬 篤:三本の指の例が示すこと(『国家』522e5–524d5)
安田 将:『アカデミカ』におけるキケロの懐疑主義
第52号(2020年)
坂下浩司:『形而上学』Γ巻第1章の《存在論》再論 —Α巻における「第一の諸原理の探求」にとってΓ巻の「存在としての存在」そして「或る自然」とは一体何だったのか—
西村洋平:プロティノスの知性主義
第51号(2019年)
木原志乃:ヒッポクラテス医学における女性の身体
早瀬 篤:発展主義と新統一主義 —プラトン研究の最近の動向から—
【研究ノート】
渡辺華月:プロティノス視覚論における共感応の役割 —『エネアデス』「魂の諸問題について」を中心に—
第50号(2018年)
【巻頭言】内山勝利:第L号刊行を迎えて
中畑正志:イデア論はどのように成立したか
山口義久:『ソクラテスの弁明』のプラトン著作における位置づけ
濱岡 剛:泡から生まれる動物 —アリストテレス『動物の発生について』第3巻第11章における殻皮動物の発生のメカニズム—
大木 崇:『自然学』II巻第9章における数学の例について
【回想】
山田道夫:メトドス草創のころ
金山弥平:『古代哲学研究』10年目の頃
朴 一功:メトドスの想い出
坂下浩司:古代哲学会の会計だったころ (1990-1991)
第49号(2017年)
荻原 理:プラトン『法律』における「説得」
酒井健太朗:諸学の独立性と自体的属性 —アリストテレス『分析論後書』第2巻第13章96b15-25の解釈を通じて—
武育 実:アリストテレスの運動の定義
河田真由子:『ニコマコス倫理学』第7巻第3章におけるアクラシアー論の構造について
第48号(2016年)
栗原裕次:プラトンの公私論序説 —『ポリテイア』第10巻の「立派な人」考—
船口永恭:ソクラテスの無恥の誠実性について —プラトン『カルミデス』166e5-171c10に関する考察—
田中あや:『クラテュロス』における流転と原語 —439b10-440d7の解釈をめぐって—
第47号(2015年)
中畑正志:自己知の原型とその行方 ー二つの格言をめぐって—
吉沢一也:ソクラテスのダイモニオンは道徳的判断に寄与しているのか
西村洋平:魂の一性をめぐるプロティノスの思想
第46号(2014年)
早瀬 篤:『ティマイオス』受容史における素材・物体・様態
田中あや:名前と実在 ープラトン『クラテュロス』386e-390eの解釈をめぐってー
中島立博:プラトン『ポリティコス』285d9-286b1における二つのクラス
【書評】
栗原裕次:『イデアと幸福ープラトンを学ぶー』(太田和則)
第45号(2013年)
福田宗太郎:知識とドクサ ―プラトンの『テアイテトス』における虚偽論を中心に—
川本 愛:ゼノン『国家』における「ポリス」の再定義
Tolga INSEL:Aesthetic Pain and Injustice: Socrates’ Refutation of Polus in Plato’s Gorgias(474c-476a)
【応答】
荻原 理:中畑の応答を受けて
第44号(2012年)
藤田大雪:ソクラテスの第二の航海 ー『パイドン』における感覚的な探求とロゴスのなかでの探求について—
太田和則:『国家』Ⅴ巻の「二世界説」について
前田麻美:『パイドロス』における書かれた言葉と想起
西村洋平:プロティノスにおける魂の部分と全体の関係について(Ⅳ, 3, 1-3)
【応答】
中畑正志:荻原の批判に答えて
【研究ノート】
中畑正志:像と類似性 ー小池澄夫の仕事をめぐる覚書—
第43号(2011年)
大木 崇:アリストテレスにおける「海戦問題」について ー二つの決定論的議論を中心に—
戸子台良太:魂の因果的役割 ーアリストテレスにおける魂概念の解釈をめぐって—
【討論】
荻原 理:中畑のマクダウェル理解について
【論評】
牛田徳子:「需要」は必要か? ー岩田靖夫氏の場合—
【書評】
高橋雅人『プラトン『国家』における正義と自由』(田中一孝)
田坂さつき『『テアイテトス』研究 ー対象認知における「ことば」と「思いなし」の構造ー』(福田宗太郎)
第42号(2010年)
中畑正志:アリストテレスの言い分 ―倫理的な知のあり方をめぐって
岩田直也:クラフト・アナロジー序 ―プラトン『国家』第一巻と『ゴルギアス』における技術と価値の問題について
松井克文:対話と魂 ―『ゴルギアス』469b-475e
福田宗太郎:プラトンの『テアイテトス』151-183における「秘密の教説」と「思い(判断)」
【応答】
中澤 務:ソクラテスとフィロソフィア―岩田氏に答えて
第41号(2009年)
高橋雅人:ソクラテスの美とイデアへの上昇
田中一孝:演技・物真似のミーメーシスVS像制作のミーメーシス?
伊藤春美:プロティノスとストア派の賢者
【書評】
中澤 務『ソクラテスとフィロソフィア ―初期プラトン哲学の展開』(岩田直也)
第40号(2008年)
濱岡 剛:ポリス的動物
木原志乃:メランコリコイにおける魂の運動と知性 ―アリストテレスとペリパトス派によるメランコリア概念の位置づけ―
岩田直也:詩作と技術 ー『イオン』532c5-d3の解釈を中心にー
【書評】
田中伸司『対話とアポリアーソクラテスの探求の論理』(藤田大雪)
第39号(2007年)
山口義久:『パイドロス』で「書かれた言葉」と対比されているもの ―プラトンにとっての書くことの意味―
吉沢一也:『ヒッピアス(大)』におけるソクラテスの法概念
藤田大雪:逆さまの推論 ー『メノン』における仮設法についてー
【応答】
上田 徹 :村上正治氏の書評に答える
第38号(2006年)
山田道夫:『ピレボス』の快楽生成論(53c-55a)をどう読むか?
田中一孝:一方向的な愛 ープラトン『リュシス』における友愛論ー
大木 崇:アリストテレスにおける〈時間〉の定義について
【書評】
加来彰俊『ソクラテスはなぜ死んだのか』(吉沢一也)
別冊・内山勝利教授停年退官記念(2005年)
内山勝利教授停年退職記念講演
内山勝利教授講義題目
内山勝利教授業績年譜
第37号(2005年)
國方栄二:エイコース・ロゴス
吉沢一也:プラトン『クリトン』の議論構造再考
森崎恒平:『カルミデス』の「知の知」
藤田大雪:『パイドン』における想起説の総観
【書評】
神崎 繁『プラトンと反遠近法』(小池澄夫)
上田 徹『プラトン 初期対話篇研究』(村上正治)
【応答】
三嶋輝夫:これから ー弁明と展望—
第36号(2004年)
小池澄夫:イデアについてー序説
木下昌巳:プラトンと民主制・再考
大木 崇:アリストテレスにおける〈動〉の定義について
【書評】
三嶋輝夫:『規範と意味ーソクラテスと現代』(西尾浩二)
納富信留:『ソフィストと哲学者の間』(中村 健)
【回想】
内山勝利:HODOS と METHODOS —藤澤令夫先生を偲んで
第35号(2003年)
三浦 要:パルメニデスは一元論者だったか?
中村 健:プラトン『ソピステス』における像の問題について
早瀬 篤:プラトンの虚偽論 (2)
第34号(2002年)
坂下浩司:アリストテレスにおける外的目的性の問題 ー『政治学』第1巻第8章と『形而上学』第XII巻第10章の解釈を中心にー
國方栄二:言葉における虚偽
木原志乃:エリュクシマコスのエロース論 ーヘラクレイトスの「対立の一致」説との関連についてー
早瀬 篤:プラトンの虚偽論 (1) ー『ソピステス』258d-263d ー
第33号(2001年)
金子善彦:定義と生成 ─アリストテレス Metaph. H6における「一性」の問題への視点─
吉沢一也:アポロンとアテナイ ─『弁明』におけるソクラテスの不服従問題を巡って─
西尾浩二:ヂュナミスとエルゴン ─『ヒッピアス(小)』から『国家』へ─
木戸川啓多:エレンコスにおける同意と真理 ─『ゴルギアス』における誠実さについて─
田中龍山:ピュロンとピュロン主義 ─エウセビオス『福音の準備』14. 18. 1-5─
第32号(2000年)
中畑正志:病の文法とレトリカ
大草輝政:ソクラテスの知の表明
早瀬 篤:「ソクラテスの夢」についての試論 ─プラトン『テアイテトス』201C-206B─
和田利博:エピクロスの快楽論
第31号(1999年)
中川純男:イデアと存在 ─『パイドン』の想起説─
村上正治:コリュンバンテスの響き ─プラトン『クリトン』におけるロゴスの構え─
木下昌巳:プラトンの哲学的弁論術と弁論家の弁論術
中村 健:「本当の偽り」と「言葉による偽り」 ─『国家』382a-c─
第30号(1998年)
山田道夫:ミーメーシスの位相 ─詩人追放論の照準と射程─
木原志乃:ヘラクレイトスとギリシア医学理論 ─ヒッポクラテス文書における生理学への展開として─
大草輝政:ソクラテスにおけるエレンコス(吟味・論駁)再考 ─主に『ゴルギアス』を手がかりとして─
辻 仁美:教えられることと想起すること ─『メノン』後半部(86c4~)をどう読むか─
筒井明子:「プラクシス」と「エティスモス」についての一考察 ─アリストテレス『ニコマコス倫理学』二巻四章を手がかりに─
第29号(1997年)
中畑正志:対話と真理 ─「ソクラテスのエレンコス」への覚え書きII─
和田利博:浄めの時 ─エンペドクレスにおける現在世界の位置づけ再考─
赤井清晃:アリストテレスのディアレクティケーの問題 ─「哲学」の方法としてのディアレクティケーの可能性─
半田勝彦:よき人の徳とよき市民の徳 ─アリストテレス『政治学』第3巻第4章─
第28号(1996年)
小池澄夫:ミーメーシス注 ー『国家』392d-398bー
脇條靖弘:プラトン『ラケス』における勇気と徳の全体
丸橋 裕:魂の治癒教育 ープラトン『法律』における無知とアクラシアーの問題―
【研究ノート】
折田正俊:『プロタゴラス』に相対主義は語られているか
第27号(1995年)
瀬口昌久:第一の大浪 ―プラトン『国家』と女性―
木原志乃:ヘラクレイトスの流転説
村上正治:アントローピネー・ソピアー ー「無知の自覚」と「魂の配慮」―
国越道貴:アリストテレスの自然目的論 ー『自然学』B巻8章―
若林雅哉:アリストテレス『詩学』における「転換」としてのペリペテイアについて
田中龍山:セクストス・エンペイリコスにおける下剤の比喩について ―懐疑主義の自己論駁―
第26号(1994年)
朴 一功:メトレーティケー・テクネー
三浦 要:推測と認識 ―ヘラクレイトス断片B47の解釈の試み―
角谷 博:『ピレボス』における予想的快楽について
【研究ノート】
赤井清晃:アリストテレス『プロトレプティコス』Fr. 13 Rossにおける「ピュシス」の意味について
仲川 章:アリストテレスの数学観 ―J. リアの解釈とその周辺―
【特別編】
〈美〉それ自体の美しさをめぐって ―藤澤令夫/G. ヴラストス往復書簡より―
第25号(1993年)
斉藤和也:行為と使用 ―『エウデモス倫理学』第2巻1章における使用の概念について―
米澤 茂:ソクラテスと徳の教育 ―『ソクラテスの弁明』を中心として―
東谷孝一:「所有の生」から「使用の生」へ ―『エウチュデモス』篇におけるプロトレプティコス・ロゴス―
大内和正:虚偽の言明と現われ ―プラトン『ソピステス』263再考―
徳永貴士:無知のゆえの行為に関する後悔と同情について
第24号(1992年)
吉田雅章:不正とポロス ―Gorgias 474C4-475E6のエレンコスの語るもの―
国方栄二:真実と真実に似た虚偽 ―ヘシオドス『神統記』27-28行の解釈―
久保 徹:プラトン『国家』における魂三区分説
坂下浩司:アリストテレスの目的論における物質の必然
【研究ノート】
浜岡 剛:感覚とロゴス ―アリストテレス『デ・アニマ』II. 12, 424a17-28―
藤本 温:『デ・アニマ』Γ巻4・5章のヌース解釈の問題 ―アクィナスとテミスティオス―
第23号(1991年)
桑子敏雄:アリストテレスの論理学における論証と論証能力について
三浦 要:ヘラクレイトスにおける「正義」の意味
木下昌巳:『国家』における正義と幸福
岸見一郎:プラトンのエロース論 ―『法律』第8巻835b-842bにおける―
第22号(1990年)
朴 一功:ソクラテスにおける徳と幸福
高橋憲雄:「哲学者王制」にまつわる認識論的問題について
岡部 勉:Gorgias 467c5-468c8
坂下浩司:内属性の定義と実体優先論
鎌田雅年:ソクラテスのアクラシアー批判
別冊・藤澤令夫教授停年退官記念(1989年)
藤澤令夫教授停年退官記念講演
藤澤令夫教授主要著作目録
藤澤令夫教授講義題目
藤澤令夫教授略年譜
年譜の中の点景
第21号(1989年)
脇條靖弘:プラトン『国家』第2巻における正義弁護の要求
樋口 努:〈美〉の定義 ―プラトン『ヒッピアス(大)』の場合―
田中康照:プラトン『パイドン』の想起説と〈等〉のイデア
吉田雅章:国家建設の原理 ―瀬口論文への応答―
【研究ノート】
山田道夫:アリストテレスにおける目的論と必然
第20号(1988年)
藤澤令夫:創刊20周年を迎えて
三浦 要:メリッソスの断片8について
瀬口昌久:魂の国制と国家の徳 ―プラトン『国家』における人間と国家のアナロジー再考―
岡崎文明:プロクロスにおける善の超越性と目的因 ―『神学綱要』命題8をめぐって―
【研究ノート】
内山勝利:ゼノンの飛矢静止論
第19号(1987年)
小池澄夫:洞窟の正午 ―『テアイテトス』の出発点と針路―
角谷 博:技術と徳 ―プラトンの初期対話篇における徳論の一面―
久保 徹:善への欲望 ―プラトン『ゴルギアス』の思想圏から―
【研究ノート】
金井多津子:テオリアについて ―『エンネアデス』III 8を中心に―
屋敷紘一:アリストクセノスの伝えるプラトンの「善について」の講義
第18号(1986年)
丸橋 裕:哲学的宇宙論の誕生 ―プラトンの原因論の生成と発展を通じて―
瀬口昌久:プラトン『パイドン』における生と知の原理―心身問題前哨―
仲川 章:『クラテュロス』覚書 ―オノマ論考―
岸見一郎:プラトン『法律』における刑罰の哲学的基礎付け ―Lg. 859c-864bの解釈―
第17号(1985年)
種山恭子:『ティマイオス』のdemiourgos像再考 ―特に『エンネアデス』II. 9におけるプロティノスとの対比で―
森 泰一:プラトンにおける不死なる魂の本性と人間の個性に関する一考察
脇條靖弘:『国家』第一巻におけるトラシュマコスの正義論について ―プラトンの対決したもの―
田中今日子:『パイドン』における想起説について
第16号(1984年)
山本千洋:イデアの今生認識について
中畑正志:イデアの知への道標
鎌田雅年:ミーメーシスの諸相 ―Resp. X巻595A, autes hose mimetikeを巡って―
尼ヶ崎徳一:英独遊学記
第15号(1983年)
浅野楢英:プラトン『ソピステス』における偽なる言表と否定について
国方栄二:「永遠の動く似像」の意味するもの ―プラトン『ティマイオス』における時間論から―
朴 一功:「太陽」「線分」「洞窟」の比喩再考
岸見一郎:通俗的な徳 ―『法律』における―
第14号(1982年)
山本千洋:所謂完全述詞と不完全述詞の区分に関して
角谷 博:『パイドン』における死の定義について
仲川 章:『国家』に於けるミーメーシス
丸橋 裕:ピリアーとデーミウールゴス ―エンペドクレスの周期的宇宙再構成のために―
長坂公一:富は大地の下から
第13号(1981年)
金山弥平:プラトンに於ける認識とその対象 ―思わくと〈線分の比喩〉に於けるディアノイアについて―
高橋憲雄:想起説に関する一考察
奥 貞二:アリストテレスにおける共通感覚をめぐる問題(その二)―De Anima, Parva Naturalia(De Somno)を中心に―
藤澤令夫:プラトン『テアイテトス』200E~201C考 ―バーニェット氏の所論について―
山本耕平訳:アリストテレスPerihermeneiasへのトマス・アクィナス注解(三)
第12号(1980年)
山田道夫:『ソピステス』におけるイデアの結合関係について
中畑正志:『パイドン』における,アイティアーとしてのイデア
斉藤和也:アリストテレス『自然学』I巻II巻における質料概念の再検討
奥 貞二:アリストテレスにおける共通感覚をめぐる問題 ―De Anima, Parva Naturalia(De Somno)を中心に―
山本耕平訳:アリストテレスPerihermeneiasへのトマス・アクィナス注解(二)
第11号(1979年)
吉田昌市:『テアイテトス』の知識論
高橋憲雄:『プロタゴラス』篇に於ける所謂快楽主義についての一考察
金山弥平:『パイドン』に於ける最後の魂の不死証明 ―魂の生についての一考察―
山口義久:アリストテレスにおけるENERGEIAとKINESISの区別 ― Energeiaの多様な意味の間におけるその位置づけ―
山本耕平訳:アリストテレスPerihermeneiasへのトマス・アクィナス注解(一)
第10号(1978年)
山口義久:プラトンのphusisについての覚え書 ―対象としてのphysisを中心にして―
小川隆雄:『プロタゴラス』におけるソクラテスのパラドクス
鎌田邦宏:プラトン『ポリティコス』における測定術
田畑博敏:プラトン『テアイテトス』147C-148Bの“dynamis”をめぐるある覚え書
第9号(1977年)
山本千洋:プラトンの認識論の一側面 ―dialektike,その意義と指向―
小池澄夫:想起説の導入状況 ―『メノン』の場合―
米澤 茂:「ソクラテスの夢」と製作技術知
中川純男:エイドスとことば ―プラトン『ソピステス』から―
第8号(1976年)
山口義久:ソクラテスの「夢」とイデア ―『テアイテトス』201D-206Bの解釈―
山田道夫:イデアの学習について ―『パイドン』の想起説から―
小林信行:欲求と欠如 ―プラトン初期から中期にかけての一素描―
内山勝利:エウリピデス論・断章
長坂公一:ギリシア旅行記
第7号(1975年)
田之頭安彦:全霊と宇宙霊 ―プロティノスの霊魂論,その二―
小池澄夫:「消滅」概念を中心とする一つの整理 ―『パイドン』の魂不死論証の周辺―
塩出 彰:倫理的行為の価値づけについて ―プラトンvs. アリストテレス―
池田康男:AISTHESISとNOESISとを同一図式の下に論ずることに関して ―Aristotelis De Anima―
第6号(1974年)
内山勝利:感覚的事物とイデアとの間 ―3本の指の意味するもの:『国家』523C-524Dなど―
米澤 茂:ソクラテスの死 ―『パイドン』における魂の不死証明―
山本耕平:トマス・アクィナスによるアリストテレスの運動論の解釈 ―『自然学』第三巻のトマス註解を中心として―
長坂公一:ソクラテスの歌
第5号(1973年)
廣川洋一:似像制作術と哲学 ―((di' eikonos legein))の意味するもの―
山本千洋:『パイドン』におけるイデア論
田中邦夫:PHILOSOFOSとPHILODOXOSの区別の基準としてのGNOSISとDOXA・その二
池田康男:アリストテレス『形而上学』Z巻における実体論
第4号(1971年)
長坂公一:「無知の暴挙」と「知の飛び火」―プラトン第七書簡より―
田中邦夫:PHILOSOFOSとPHILODOXOSの区別の基準としてのGNOSISとDOXA・その一
久々津邦男:善のイデアをめぐる比喩 ―プラトン『国家』504a~519b―
滝沢比佐子:パルメニデス,およびパルメニデスとヘラクレイトス ―聴従と応答の変奏曲・その二―
山田弘明:古代哲学とデカルト ―デカルトのテキストにおける「古代哲学」への言及―
第3号(1970年)
中村一彦:プラトン『パイドン』のイデア論の性格に関する一考察
津村寛二:『パイドン』における第二の航海について
池田康男:プラトンにおけるDegrees of Realityおよびそれに附帯する問題について
滝沢比佐子:ヘラクレイトスの思想 ―聴従と応答の変奏曲―
木曽好能:アリストテレス『カテゴリアイ』におけるいわゆる個別的属性について
第2号(1969年)
今林万里子:『国家』の三つの比喩
末森征二:『ラケス』篇への或るコメント
内山勝利:『ポリテイア』まで ―初期プラトンについての一試論―
種山恭子:「解釈」の問題についての覚え書き ―「ティマイオス」解釈と「ティマイオス」の自然解釈と―
上山春平:「線分の比喩」について ―藤澤令夫氏への手紙―
藤澤令夫:問題の所在 ―上山春平氏への返信―
第1号(1968年)
浅野楢英:プラトン『ポリテイア』におけるディアノイアの対象は何かという問題 —中間報告―
久保康夫:ディアノイアの対象について
新田 博:『国家』VI-VIIにおける3つの比喩と哲学の諸問題 ―ヒュポテシスとエイドス―
長坂東世:ソクラテスのためらい
塩出 彰:アリストテレス:『プロトレプティコス』について ―その過渡的性格の一局面―
木曽好能:アリストテレスの『カテゴリアイ(範疇論)』に関するノート